松原みきを語る〜ファンの声Vol.6

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Last Updated:2006/05/27

Hideさん
Hide と申します。
このサイトを拝見して、松原みきさんの情報を見つけたと大いに喜び、その数秒後に、訃報を初めて知り、落胆のほどは言葉に表すこともできません。

みきさんより5年早く生まれた私が彼女と出会ったのはテレビ&ラジオ。同じ頃、洋楽で Stay with me,.. で始まる曲が国内でもヒットしていました。国産は何と言っても「異邦人」が当時としては注目を浴びていました。

そうして、真夜中のドア〜stay with me〜 を、まず題名で知りました。
うん!?, パクリ!? と.の誤解は、みきさんの歌を聴いて一瞬に吹っ飛びました。
必死にドアを叩く、ドラマのヒロインの一世一代のシーン(私の空想の中で)が私の脳裏から離れません。
ドラマチック歌謡曲なんて言い方がありますが、みきさんのこのデビュー曲ほどドラマチックなものは他にありません。

社会人3年目の私に時間的な余裕はありませんでした。
よって、買ったLPは1st,2ndの2枚だけ。
3rdはジャケットのイメージがやや暗いと感じてしまって、それっきり。

いま思えば、悔いばかり。
せめて一度でもお目にかかりたかったと...

ラジオで思い出すのはFMの小室等「音楽夜話」。
小室氏はゲストのみきさんとの対談の冒頭で、〜〜はじめて聞いて、これほどゾクッとした曲はありません〜〜(正確な言葉を忘れました)旨、絶賛でした。
日本中と言っては大袈裟ですが、私はこんな歌と、こんな歌を歌える歌手の出現を待っていました。

リバイバルの時代ですから、待っていたらいつかはと念じていたのに、2枚のLPは私にとって、みきさんの追悼盤。
喜び,悲しみ,嘆き,叫び,どの歌詞も今となっては天の声。3rd以降のすべてのアルバムを聞いてみたいけれど、叶わなくても2枚のLPは私の宝物です。
松原みきよりも5つ年上ということは、メールを頂いた方の中でも、最年長かも知れません。
「真夜中のドア」インパクトがありましたね。この曲は、よくCarol Bayer Sagerの曲に酷似していると指摘されますが、その曲自体を聞いたこともないし、松原みきにぴったりということで、林哲司の佳作なのではと思います。これだけ社会的に認知され、オリコン28位まで上昇した曲ですから、んなこというのは、単に悪口を言いたいだけというものではと、自分の中では片づけています。今更、Puffyの初期の奥田民生が関わった曲、モー娘。のつんくなんぞは、それを言い出したらきりがありませんね。それも誰もいわないし。
さて、未CD化の『-Cupid-』なんですが、ここまでブラックテイストの味をほとんど二十歳くらいの当時の日本人女性に、発揮できるのかという出来です。是非とも、中古レコード屋で見つけてください。(ヒョウタンツギ)

Mr.LiveForeverさん
私も1981年4月26日渋谷エッグマンでのFM東京生ライブの音源を持っており、これは今聴いても素晴らしいライブだと思います。伊藤銀次のギターも切れ味最高です。
メンバー :
伊藤銀次(G)/木村和夫(B)/菅沼オミラ(Dr)/斉藤隆文(Key)/加賀谷護(Sax)
セットリスト :
It's So Creamy
-Cupid-
私はもどれない
青いボールペン
Rainy Day Woman
Cryin'
真夜中のドア-Stay With Me
Jazzy Night(三浦徳子/林哲司/林哲司)

最後のJazzy Nightは30分テープを使った為録れませんでした。
そうなんですよね。松原みきにはカステラムーンというバックバンドがいて、このバンドマスターが、伊藤銀次だったんですよね。それだけでも聴いてみたいです。個人的には、伊藤銀次はThe Heartland卒業どころか、解散してずいぶん経ってから、とあるイベントで佐野元春とともに出演しギターを弾いたのを聴いたことがあります。今は銀次というと、かなりの重鎮でなかなかお目にかかることができないですが、あの頃は、こんな人もひょいと見ることができたのですね。不思議に思うのは、その銀次をレコーディングでギタリストとして起用した曲が1つもないことです。まあ、当時は、さらにとんでもないギタリストを起用していたというのもあるんですが。「青いボールペン」かなり好きな曲です。個人的にも、アルバムは『Pocket Park』が一番と思っていますが、その次はというと、『-Cupid-』ですね。あの黒っぽいサウンドが見事にみきさんにはまっていますし。何度も言いますが、やはりライヴ体験ある人は羨ましいです。(ヒョウタンツギ)

passingさん
はじめまして、Passingと申します。
松原みきさんのサイト拝見しました。すばらしいですね!

私は45歳の男性です。
おそらく松原みきさんと同い年か一つ違いだと思います。
お亡くなりになったとき、ネットのニュースを見て大変ショックでした。
大学生の頃大ファンでアルバムも「レディーバウンス」くらいまでは全部買いましたし、現在も全て残っています。シングルも「パラダイスビーチ」とか何枚か残っています。
当時はまだカセットの時代ですから録音して車でよく聞きましたね。
そのカセットもまだ残してあります。

私は日大法学部出身なのですが、なんと学園祭に松原みきさんが来てステージ見ました。
大学は水道橋ですが近くのホールを借りてライブをやった記憶があります。
おそらく1981年前後の事ですからいまから25年以上前ですね。
当時「あいつのブラウンシューズ」が出たばかりのタイミングで、まだ持ち歌も少なくアンコールでもう一回「あいつのブラウンシューズ」を歌ったことを覚えています。
確か、客席から一人をステージに上げて椅子に座らせてその周りを動きながら語りかけるように歌いました。
その大学生当時のこと覚えているかなあ?

私も結婚して子供がもう今年から大学生になりました。
その子供が見ていた「おじゃ魔女どれみ」の曲が松原みきさんと知って何ともいえない気持ちになりました。

心よりご冥福をお祈りいたします。
サイトまた見に来ますので、よろしくお願いいたします。
何を隠そう、管理人ヒョウタンツギも、その界隈で学生やっておりました。なので、その時代にPassingさんと、すれ違っていることもあるかも知れません。それにしても、そんな近くに、松原みきが学園祭でやって来ていたのですね。羨ましいというか。にしても、当時のことですから、そんな情報も入ってくるわけもなく、学生の身としては、好きなミュージシャンなんかは、ただやって来るのを指をくわえて待っているばかりでしたね。こちらのキャンパスには、あまりそんな有名どころは来なくて、別キャンパスの同大学でRCサクセションなんかが来たのは噂で知るばかり。あとは、なぜか三上寛が毎年来ていましたけどね。また、当時はそれほど、生で見たいという欲求はなくて、自分の都合がつけばという感じだったなあ。もったいないことですが。懐かしい話をありがとうございました。(ヒョウタンツギ)

アセチレンランプさん
松原みきが懐かしくなり、昔レンタルレコード屋で借りてダビングしたテープを取り出したのですがさすがに寿命になっていました。それで、CD手にはいるかな?と検索したら・・・
松原さんが、お亡くなりになっていたとは知りませんでした。

黙祷

高校・大学時代、私は周囲の友達と趣味の違いまして、松原みき・大貫妙子・矢野顕子・小川美潮(当時はチャクラですね)のファンで、特に松原さんは好きでした。
TAKE OFF7には何度も通いましたし、航空(だったかな・・・?)自衛隊軍(?)楽隊演奏会のゲストに出ているという情報でわざわざ行ったり…
一番印象に残っているのは、1981年か82年の東京大学駒場祭の応援団主催コンサートですね。松原みき・チャクラという、私にとっては超豪華ラインナップでした。
その時、松原みきはステージの間中、赤い薔薇を1輪持って歌い最後にその花を客席に投げました。
幸運にもGET。
長くドライフラワー状態で手元にありましたが、引っ越しのどさくさで行方不明になってしまいました。
宝物だったのですけれどね・・・

その後、GOROだったかなぁ?掲載の半ばセミヌード写真を見てかなり失望しました。

なんで、松原みきのような歌手が、こんな写真を・・・??と
ハスキーな良い声、当時の水準を上回る歌唱力と表現力。
それなのに・・・??

それから、松原みきの新譜をレンタルレコード屋で借りなくなりました。
あの頃は、私も真面目だったのですね。


スミマセン、松原みきがお亡くなりになっているというのを見て、酒を飲みながらHP拝見させて頂いたので、支離滅裂で・・・
労作ですね。本当にありがとうございます。
貴方がこのHPを作って下さらなければ、松原みきにお酒を捧げることも出来ませんでした。
本当にありがとうございます。

乱文にて失礼いたします。
何度も言っていますが、わたしゃ、松原みきのライヴというものには、遭遇していませんので、皆さんの情報が頼りです。ありがとうございました。GOROの頃は、確かに、シンガーなのに、こんなことをしなくてはならないのかとも、思いましたが、事務所も本人も迷っている時期だったのかも知れません。下のpekinさんのところでも、書いたのですが、早いところ入手しておけば、良かったものもたくさんあります。今だったら、学園祭などでカメラを持って、撮影できるのになあとも思ったりして。(ヒョウタンツギ)

pekinさん
昔のテープをひっくり返していて、松原さんが81年大学の学園祭にきていただきコンサートを開いたことを思い出しました。
私が録音したのですがテープは残っていません。直接お会いしても気さくな方で打ち解けたいい感じでした。FMで放送したテープを聴きかえしても歌唱力は良かったと思います。
当時、FMはいい音源で歌手も沢山出演されてよかったですね。
テープの箱には、松原さんのサインが81cupidと書かれ、思い出とオーバーラップします。
歌唱力の豊かな歌手が少ないこの頃は、寂しいです。

いまでも、八神純子、尾崎亜美、松原みき、岩崎宏美などコンサートでの感動を忘れていません。
最近は、ピアノ、ヴァイオリンなどのコンサートに良く行きますけど、「私の曲で皆さんの心が和めれば嬉しいです」といわれて、「素晴らしい感動ありがとう」と言いたい気持ちです。

昔、若かった頃のアーティストは作詞、作曲そしてシンガーでした。感動を与える素晴らしいアーティストが沢山いました。
松原さんは、化粧品のCMにまででて人気絶頂でした。
「真夜中のドア」も大ヒットしましたね。
今では、思い出話になるのは仕方ありませんが、青春の1ページを刻んだことだけは確かで感謝しております。
残ったテープは宝物になってしまいました。(放送されましたね)
It's so Creamy
Cupid
私は戻れない
青いボールペン
Rainy Day Woman
クラム(?*管理人付記原文のまま)
真夜中のドア
Jazzy Night
1981/4/26 

そして、松原さんを知らない方に一度でも聴いていただき「素晴らしい歌手がいた」と知っていただけることを希望します。
好き勝手書きましたが管理も大変とは思いますががんばってください。
お便りありがとうございました。んー、どこの大学なんだろう。81年というと、わたしゃ自分のオーディオ機器を手に入れていて、なんとかアルバムなんかを買える余裕が出てきていますが、ろくなチューナーではなかったし、あまりエアチェック好きではなかったもので、FMはもっぱら聴いている方でした。さらにいうと、就職してからもっと、音源に金をつぎ込むべきだったかも知れません。今や聴くことのできないアルバムなどもたくさんありますし。ということで、まだゲットしていない作品を聴きたいという果てしない野望があるもので、まだたまに、中古ショップなどを覗いている時があります。そそ、画像も頂いたので、「お宝」の方にもアップしますね。(ヒョウタンツギ)

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