松原みきを語る〜ファンの声Vol.1

HPを開設してからというもの、ヒョウタンツギの元には、いくつかの反応が寄せられています。そこで、それらの声を随時載せていきたいと思っています。また、ログが膨大になってきましたので、10件ごとの表示にしてみたいと思います。なお、投稿名はハンドルが基本、メールアドレスは載せていません。んでは、行ってみよう。

Vol.2 Vol.3 Vol.4 Vol.5 Vol.6


ヤン水さん

 う、嬉しいじゃありませんか。松原みきに関するページがあったなんて。実は私も彼女の行方を気にしていたひとりであります。
 私が中学1年生の時に彼女はデビューをしました。当時は昭和54年の晩秋。甲斐バンドの安奈やオフコースのさよならなどが世を席巻している頃でした。毎日放送のヤングタウンに夢中だった私は、むさぼるように新しい情報を求めていました。そんな頃に彼女がデビューをし、無論ヤンタンでも頻繁に流れていました。サンヨーのCM曲だった久保田早紀の異邦人、アリスのサポートの横山みゆき秋止符。いずれも実力以上に取り上げられていたと記憶しています。そこに一ヶ月遅れで突如として現れた松原みき。思春期の扉を叩いたばかりの少年には「Stay with me 淋しさまぎらわして 置いたレコードの針…」と言うフレーズが自分の切ない初恋とダブりました。それから発売日には新譜を購入し、英語の歌詞部は辞書をひきひき彼女の世界に浸っていったのです。
 「松原みきに会いたい!」と日々思う中学生時代。地方の極小都市に住んでいた私にはコンサートやライブハウスはかなわぬ夢。そんなところ日々リスニングしていたヤンタン水曜日に彼女がレギュラー出演。パートナー原田伸郎のいやらしい言葉にカリカリしたものです。中学3年生の夏に電話出演コーナーで彼女と話せた幸せで思いは一層つのるばかり。その後高校2年生の昭和58年末になんと新宿ルイードに行く機会ができたのです。その日はバックバンドのシャイニーストッキングがラストと言うこともあり、みきちゃんは熱っぽく約25曲を披露しました。イガグリ頭の少年がネクタイ姿のお兄様方に囲まれてジュースを飲みながら大感涙。確かオープニングは“10カラット・ラブ”だったと記憶しています。ルイードの店員さんに許可をもらって写真も撮りまくりました。そんな私のベストチョイス…。
1.Twinkle Twinkle Starlight〜三日月型の犬を求めて〜
 孤独に負けそうな浪人生の頃に自分を励ました曲。みきちゃんの最高のバラードと思い込む。
2.シャンデリア・ミラージュ
 都会での恋愛が田舎の少年の憧れでした。
3.真夜中のドア〜Stay with me〜
 私の恋愛観の原点。つき合った女性には必ず覚えさせました。
4.Wash
 Dr.ストラットのサポートでみきちゃんらしさが一番表現できていると思わせる曲。ライブの時は「Wash your heart」と言って観客のひとりを指さす。だが、そんな幸せはいつもお兄様方に奪われて何度も苦渋をなめさせられた。
5.もう一度Fall in love
 甲斐バンドを脱退した長岡和弘氏がなぜかプロデュースアをしていたので思い入れが強い。上京して予備校生だった年は1回しかライブに行かれませんでしたが、大学生になってからは数回行きました。相変わらずネクタイ姿のお兄様に囲まれていましたが。
ところが平成になった頃から活動が見えず、心配していました。業界を後にしたのかと思いきや、新たな分野で頑張っていたのですね。いつの日かどこかでステージに上がる日を楽しみにみんなで待ちましょう!永久の恋人です。このような場所を提供していただきありがとうございます。
今では、ここの常連となった、ヤン水君さんです。おそらく誰よりも、ファン度は強いと思いますよ。また、彼の提供してくれるグッズの画像があってこそ、このページも成り立っている次第です。これからもよろしくお願いします。(ヒョウタンツギ)

ΣΩさん

初めまして。シグマオメガと申します。
以前から「松原みき」情報を求めてnet上を彷徨していたのですが、今日初めてこのPageに辿り着きました。素晴らしいPageです。最高です。心震えました。

私のみきさんとの出合いは「幸せにボンソワール」でした。ラヂオから流れてきたあの少し鼻にかかった声にすぐ心を奪われてしまい、アルバムのジャケットの可憐な姿にもうメロメロになってしまったのでした。名古屋の田舎の冴えない高校生だったのに、当時まだ新宿にあったルイードに出掛けていったりしました。随分勇気が要りました。他にも「パラダイスビーチ」が出た頃行われたコンサートツアーの名古屋開催分や、FM愛知主催のミニコンサートなんかにも運良く行くことができました。月代わりのレッツゴーヤングの副司会をやったときのVIDEOなんてものもまだ手許にとってあります。

東京へ出てきた頃、新宿の紀ノ国屋の近くの中古レコード屋へ昇るエレベーターですれ違った時は、感激で声も掛けられませんでした。

作曲家としての活躍は本当に嬉しいのですが、もう一度でいいからSinger松原みきが見たいですね。
御迷惑でなければまたお邪魔したいと思います。では!
今、本当に40代くらいの女性シンガーがいませんねえ。それは世の中も同じことで、年齢を重ねるごとに、女性は仕事場から少なくなってしまうんですけど、竹内まりやが子育て諸々が片づいてきて、一回限りでしたが、ステージに立ったということもあります。それはそれは素晴らしかったです。そういう例もありますので、いつかを信じていきましょう。(ヒョウタンツギ)

Opelist Kawashimaさん

私は、インターネットを立ち上げて3日めのオペリスト河島と申します。
初めまして! 
あるんですね、「松原みき」つながり!
1980年頃、私は某レコード店に勤めていました。店にあった「CUPID]の販促用等身大看板を貰えることになり、(空ジャケットだけたくさん持ってます。ブルーの服が大変セクシー!!)当時車を持っていなかった私の代わりに友達に預かってもらいました。家へ持ってきてくれるよう頼んだのに、彼も「CUPID」からファンになり返してもらえず、今でも押入にあるようです。かれこれ20年も松原みきを聞きこんでいますが、今でも大好きです。当時、タモリがO-N-ニッポンで「松原みき」ファンだと言ってよく、かけていたのを思い出します。
ところで私は、あるオープンカーのサークルに所属しており、たくさんの~~carでツーリングに行きます。そんなときも「松原みき」なのですが、いたんです、もう1台!!!  30歳くらいの理学博士でBMWに乗っている仲間が、ガンガンにかけていたんです。最近の話ですよ! ♪ えらいこっちゃ なんのこっちゃ ちゃちゃちゃ グーグー がんも! ひと声でスージー松原を見抜ける、秀作ですよね。などと通好みの話題になり、大変感激したものです。
勝手に盛り上がってスンマソン。うれしくて!!! また来ます。 ごきげんよう
かっこいいクルマから流れる、松原みきというのもいいですよね。決して懐メロ大会にならないところがいいですね。「ガンモ・ドキッ!」は、ちょっとなんですが、個人的には、『Pocket Park』か『Cupid』がいいと思います。(ヒョウタンツギ)

ジムさん

はじめまして、検索エンジンで みきさん を調べてもなかなかよい情報に恵まれていませんでしたが、充実したHPを開設、感謝しています。

さて、高校1年のころにラジオから流れる「真夜中のドア」を聞きとことんファンになりました。
そのころ、みきさんは関西に住んでいる人は誰もが知っているMBSヤングタウンというラジオ番組の水曜レギュラーを原田伸朗、桂雀々とやっており、私は、はがきを書き笑いをとったりしてました。

当時のラジオ関係のスクラップを懐かしく見てみますと朝日放送(関西圏以外はTBS系になると思います)81’/3月 サンデー・ダークダックスの月間ゲストで出演。AM放送のマイナーさもあってかサインのプレゼントが当たっています。(ニートな午後3時」と「Twinkle Twinkie Starlight」の楽譜リーフレットも同封)

また、NHK−FM軽音楽をあなたにのDJを4月から8月までやっていました。(9月までやっていたかもしれませんが手元に資料が残っていません。放送曲目のリストは8月まであるのですが・・・)
これがきっかけでNHKレッツゴー・ヤングの司会をするようになったと想像します。

※ ラジオから流れるみきさんの声としゃべり方はユーミンに似ていると思っているのは私だ けでしょうか・・・・・

高3の頃には、大阪厚生年金会館、岡山清心女子大の学園祭に行っています。

それから大学生となった私は、みきさんのライブに、今はなきバーボンハウスとバラードに5回ほどいっています。本当はいけないんでしょうが、カセットテープに録音させてもらいました。特にバラードには1度しかいけませんでしたが、ステージの高さと距離は抜群のライブハウスでした。(録音状態が物語っています)

そうそうみきさんのファンクラブどうなってしまったのでしょうか。当時ポケットパークに記載されていたファンクラブに入ってみたものの会員証だけ送ってきて何の活動もなかったですよね。
記憶違いでなければ会員証の期限が書いてあって、更新してもらおうと事務局に手紙を入れて送ってみたものの何の連絡もありませんでした。それだったら記念に手元においておいたほうがよかった(戻ってこない黄色のカードが懐かしい)・・・
もし、当時のファンクラブの活動に明るい方がいたら教えてください。

懐かしくなり長々と、とりとめのないメールとなりましたがもう一度、ステージで松原みきに会いたいのです。
松原みきのステージ、わたしゃ、見ていないので、やはりどんな形でもいいから、見てみたいものです。今だったら、さらに磨きがかかって、抜群のステージングが楽しめるのではないでしょうか。(ヒョウタンツギ)

コバヤンさん

はじめまして。感動しています。 ここまで丁寧に松原みき情報をGETしたホームページ゙は初めてです。(というより唯一無二なのでは?)
通常検索しても 、まず該当がない。あっても国府田マリ子関連の作曲者として挙がってくるぐらい(それも名前だけ)。

松原みきさんについて言えば、彼女のデビュー当初から気にしていて、最初に買ったのが、実は「ハロー・トゥデイ」でしたラジオから流れてきてショックを受けすぐに買いに行って。 その後アルバムをコンスタントに買い集め、中古レコード店でシングル版を物色しながらアルバム未収録曲があると、買い足したり。

ライブは、1983年、84年に名古屋で二回だけ見に行ったことがあって、COOL CUTやLADY BOUNCEの収録曲中心に盛り上がったことを覚えています。

その後WINKを最後にアルバムを見かけなくなって、「ダーティ・ペア」の主題歌や当時のサークルKのコマーシャルソングを歌っているぐらいから完全に消息を見失ってしまいました(ガンモのエンディングテーマを歌っていたスージー松原の正体はやっぱり彼女だったんですね)。

最近、一番驚いたのは9月から始まった ウルトラマンガイアの主題歌を彼女が作曲していること。子どもといっしょに第一回をテレビ゙で見ていたら、主題歌のクレジットに「作曲 松原みき」の名が。 それで、「作曲」をキーワードに検索したら、彼女の近況のわかるホームページにHITするのではと思って、gooのキーワード検索にトライした結果このカステラムーンに巡り合いました。
シンガーとしての松原みきの復活を切に願ってまた、アクセスします。

勝手お気に入り(〜3.以降は順不同)

1.真夜中のドア
2.ハロー・トゥデイ
3.微熱が平熱
4.Rainy Day Woman
5.アラモード
6.スターダストトレイン
7.WASH!
8.路上のパラダイス
9.Hello Walls
10.私はもどれない

※MY SELF やREVUE はアルバムとして何回聞いても曲飛ばしすることなく最初から最後まで楽しめるという点で気に入っています。
えっと、こちらも松原みきをさかのぼってみようと思ったきっかけも、何気なく見ていた、國府田マリ子のアルバムにクレジットがあったからなんです。さすがに購入はしませんでしたが、その場で持ち主に借りることにしました。そうして、検索していくと、かなりの情報が集まって、ページとして立ち上げてみようと思った次第です。その後、デビュー20周年を経て、本格的松原みきのページもできてしまいましたが、こちらも、頑張っていきたいと思います。(ヒョウタンツギ)

草太さん

以前から、みきさんのページを拝見させて頂いていましたが、バンド関係など大変詳しくて感激しました。

私が、みきさんに魅かれたのは中学から高校にかけての時期で、以降 新宿 ”ルイード”や渋谷 ”TAKE OFF 7” をはじめ学園祭など”ガキ” の分際で拝聴しに行ってました。

特に、ライヴハウスはよかったですね。確かTAKE OFF 7 だったと思うのですがアカペラで ”真夜中のドア” を歌い、観客1人1人と握手をしてくれたのは強く記憶に残ってます。

ハウンド・ドッグの大友康平さんとラジオのDJもやってましたよね。

長々とすみませんが、最後に ”ファンの声”のToshiさんのお持ちの生写真って見てみたいなぁ。

それでは、これからも ”みきさんページ” 楽しみにしてます。。。
草太さんは、松原みきが昔掲載されていた、雑誌なども紹介されています。そのページは、今は消滅してしまいましたが、確か、見たことがあったような気もして、その時の記憶もよみがえってきました。これまたありがとうございます。(ヒョウタンツギ)

Toshiさん

私も最近「真夜中のドア」がカバーされたことによって松原みきが再浮上するのではないかと密かに楽しみにしている一人です。

私は高校1年生の頃にデビューしたての彼女を「夜のヒットスタジオ」で見て一発で気に入ってしまい早速レコード屋さんにシングルを買いに行きました。

でもその当時は埼玉の田舎の高校生だったので、一人でコンサートに行くことも出来ず、滅多にテレビに出ない彼女をレコードやラジオで聞いていました。そうラジオって言えば、当時ラジオ関東(今のラジオ日本)で夜DJをしている番組があり、ノイズだらけの音声に耳をくっつけて聞いていましたよ。

その後もう一度(僕の知る限り)「夜のヒットスタジオ」に「ニートな午後3時」を歌っているとき出演したことがあって久々に彼女の姿をテレビで見れると思い、テレビ前にしがみついていましたが出てきてびっくり!!!! 化粧品CMのタイアップのせいかどうかは分かりませんが、すっごい濃いメークで出演・・・・・・
せっかく世の多くの人に松原みきを見てもらえると喜んでいたのに、これじゃ逆効果だーと嘆いておりました。

今年からInetを初めて、たまに彼女の関連記事が無いかとサーチしていたのですが、なかなか見つからず、もう引退して業界にはいないものだと思っていました。いろいろ情報を有り難うございました。
最近、「スーパーベスト」のCDを久しぶりに取り出して、車の中で聞いていたのですが、あれから十数年たってもやっぱり良いですよね。

確か写真を入れている引き出しの奥にどこかの野外ステージで黒のニット姿の<知り合いが撮った彼女の白黒生写真が何十枚か埋没しているはずだな〜久しぶりに出してみてみよう。

長々書き込んでしまいました、すいませんつい懐かしくて・・・・ではまた何か発掘があったらご連絡します。
Toshiさん、現在のハンドルは、yanappiさんです。彼も、HPを立ち上げられています。んで、そのモノクローム写真も、頂いております。ありがとうございました。そのおかげで、ひとつのコーナーを立ち上げることができています。感謝してもしきれないですね。(ヒョウタンツギ)

ひでやんさん

1953年うまれのひでやんです。70年代の音楽HPより、とんできてしまいました。

松原みき、なんとすてきなシンガーだったことでしょう。

真夜中のドアがでたころ、わたくしめ、ホームビデオ購入いたし、音楽番組など、録りためておりました。

真夜中のドア、とわたしのブラウンシューを録画した、記憶あり。演奏は、カステラムーンとテロップ確かにでていました。銀次さんがいてたなんて、今まで知りませんでした。
思い出情報のHPありがとうございました。
後日、テレビ番組で、このときの様子が放映されていました。確かに、バックのメンバーもちらっと映ったものの、まあ歌手に焦点を合わしたものですから、ミュージシャンが誰なんて、わからないくらいですね。それにしても、デビュー間もない新人で、伊藤銀次がバックにいたのは、佐野元春と松原みきしかいないですから、何とも幸運な人なんでは。(ヒョウタンツギ)

アツシさん

はじめまして、私は30歳になる大の松原みきファンです、いまだに聞く曲は松原みきばっかりです、しかし最近どうされているのか何も分からず、調べようにも何も資料もなくこの為にインターネットを始めました、やはり情報があったんすね、もうとっくに音楽活動はされていないのかと思っておりました、こちらの情報を閲覧させていただきとても興奮して読ましていただきました、また最新情報がございましたら今後も情報提供をよろしくおねがいいたします、ありがとうございました。
ということで、お便りもらってから、5年ほど経ちますが、相変わらず、続けてます。最近、あまり提供曲が見つからないのが残念なんですけどね。(ヒョウタンツギ)

祐司さん
松原みきでサーチしていたところビビビッ(2.3日前に連発していた人がいたような。。。)ときまして拝見させて頂きました。

私が松原みきにであったのが、18歳(彼女より1歳年下)FM東京です。真夜中のドアはかなり耳に残りLPを買うぞと意気込んだものの山下久美子のバスルームから愛をこめてを買うか、ポケットパークを買うか迷いましたが(たしか山下久美子も新人)でもポケットパークを購入して大正解。

高校時代から、ギターはリッチーだよとかジミヘンだとか言ってた連中にいや違うギターはジョーパスだよと言って変人扱いされていた私なもんで彼女のヴォーカルは滲みましたね。。。

私のベスト松原みきですが。

1.真夜中のドア
2.ハロートゥデイ
3.マンハッタンウインド
4.流星スイング
5.バレリーナ〜微熱が平熱の三曲
6.Jazzy Night

昔、25歳位だったかなバンドでハロートゥデイをやってました。私はドラムです。

私的意見ですが、カシオペアは当時大好きでしたが、松原みきにはあっていなかったように思うんですが。。。(ごめん)

いま路線が全然違いますがバンドをやっています。(パンクに近いR&R)
HPを始めて、松原みき関係で初めてのお便りでした。みきさんとは同年代ファンということですね。ちなみに、祐司さんのベスト松原みきの5は、「バレリーナ」、「三人で踊らない」「微熱が平熱」ということです。こちらも私的意見ですが、『Lady Bounce』の向谷のアレンジは、あまり彼女の良さを引き出していないと思ってます。同感ということですね。(ヒョウタンツギ)

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