佐野元春を語るVol.4

2001年、21世紀になって初めての佐野元春の誕生日。45歳となる地平に立つ男の物語をややポエトリーリーディングを意識しつつ、書き起こしてみました。恥ずかしながら、自分の文章。

Happy Birthday. MOTO Text by ヒョウタンツギ

1956年3月13日。東京に、ひとりの少年が生まれた。
少年は、夢と現実を半ば同一視していた。
鉄腕アトムに憧れ、ノートには漫画を描いていた。

少年は少し大きくなり、ある日年上の従姉妹からBeatlesの曲を聴かされた。
少年は、うまく歌うことで、従姉妹が喜ぶのが嬉しかった。

少年はまた少し大きくなり、いつしかギターを手に取った。
やがて、そらんじていたブレヒトの詩に曲をつけて歌うようになった。

少年はまた少し大きくなり、バイクにまたがり、そして恋をした。
それでも、毎日のように詩をノートにつけるのを忘れなかった。

恋に破れ、友人の死を乗り越え、やがて少年は人前で歌うようになった。
いつしかプロの世界でやってみないかという誘いがあり、一度は乗りかかった。
しかし、その世界は少年の夢をぶちこわすような話だった。

それでも、歌うことを忘れず、曲を作り続けた。
でも、モラトリアム期間は過ぎ去り、青年となった彼は、広告代理店に勤めるようになる。

ある日、取材で訪れたアメリカである出会いに触発され、もう一度プロの世界で
やってみる決心をする。日本に戻り、彼は辞表を書いた。

そして、プロデビューする。しかし、全く相手にされず、とてもプロとは言えない
ような生活が続く。それでも、仲間たちを集め、地道な活動を続けていく。

もう、これでやめようと思っていた頃、いくつかの幸運な出会いがあった。風が彼に吹きはじめ、注目され始める。アルバムが売れた。ツアーも盛況だった。しかし、彼は安定の道をなげうって、ニューヨークに定住してしまった。大きな賭だった。

やがて、日本に戻ってきた彼の曲を聴いたほとんどが、びっくりした。今までこの国ではやったことのないような曲ばかりだったからだ。去っていったファンもいたが、新たに獲得したファンも少なくなかった。そして、彼は次々に独自のメディア進出を始める。

もう十分に大人だった。すでに30を過ぎていた。彼の音楽仲間とは、発展的解消をする決心をした。ひとりになった。父親も、母親も、亡くなっていた。でも、ひとりでは限界があった。彼をサポートしてくれる新しい仲間が必要だった。

奇跡が起こった。仲間が次々に集まった。彼は再び、スタートラインに着いた。はじめのうちは、絶賛されていた。しかし、辛抱強いファン以外には、一般市民を巻き込むことはなかった。しかし、彼には迷いがない。

やがて、デビュー以来20年が経過した。一番忙しかった年だろう。
そして、また1年が経過した。今年、彼は新しいスタートを切る。夏にはアルバムをリリースする。次の地平を目指すために。

佐野元春、45歳。誕生日おめでとう。

信頼と依存を取り違えてはならない

そう、俺は君からはみだしている

再会〜佐野元春の話をしよう

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