佐野元春を語る Vol.3

これまた、ワタクシのネット友だちですが、佐野元春を語ってもらいました。彼は、思春期に佐野元春に出逢い、勇気づけられてきたようです。しかし、その後元春を聴けなくなってしまった。それが徐々聴けるようになってきた心境を、アルバム『The Barn』とともに語ってます。これは読み応えがあるぞ。

再会〜佐野元春の話をしよう Text by JUNTY

佐野元春 and The Hobo King Bandのデビューアルバム『THE BARN』がリリースされて3週間。聴く度に印象がどんどん変わるカメレオンのようなアルバムで、いったいどこで区切りをつけて話を始めればいいか迷ってしまいました。
では、元春との出会いから、もう一度書きます。
僕の元春との出会いは14歳の時。深夜ラジオから流れる「ガラスのジェネレーション」を聴いた瞬間、何かまぶしいものが頭上から降ってきたような感じがしました。すごく難しい年頃だったと思うんですよ。大人や社会なんて全く信用していなかった。自分の中に芽生えつつあるワールドが受験や受験に血眼になる同級生がつくる世界とつながらない。そんなとき、唯一元春は「ちょっと信じてやってもいいかな(今思えばかなり不遜なガキだ)」と思える大人になったのです。そしたら、単に反抗したり「ふざけんなよ」とこぼすこともなくなった。友達の曲に詞を書いたりして、自分のワールドを表現できる場所を見つけたんです。
今の中学生も誰か信用「してやってもいい」、形にならない自我をコントロールする術を見せてくれる大人がいるといいんだけれど。
時が経ち、社会人になった頃、僕は元春が聴けなくなってしまった。社会人という同じ岸辺に立つと、「信じられる大人」で居続ける元春に憧れながらも、疎ましく思ったのかもしれません。越えられそうで越えられない河がある。誰かの受け売りではない自分の河を渡らなければならなかったんです。
その後、自分を取り巻く様々な状況が変わって、僕の考え方も少しずつ変わりました。ひとつめの河はもがきながらも何とか渡れた実感がある。最近すごくリラックスして音楽が聴けるようになったし、あのときほどではないにしろ、まぶしいものがときどき降ってくるようになってる。ただ、「陽気にいこうぜ」という気分でもない。そんな、絶好のタイミングで『THE BARN』。
とても楽しい時間でした。「やぁ、元気だったかい?」と歓迎され、同じ岸辺に立てたような気がした。元春の本質は何も変わっていない。その瞬間、14歳の自分がそばにいた。「あんたも何にも変わってないよ」。たぶん奴はそう言って僕のことを笑うだろう。変わることと変わらないこと。「別に気にしなくてもいいんじゃない?」と。
もし元春が変わったとすれば、ハートランドのとき(を「率いていた」とき)にも見られなかった無邪気な姿勢を感じました。ホーボーキングバンドのメンバーを見て、これだけ名うてのミュージシャンが参加していれば悪い出来にはなるはずもない、と思っていたけれど、想像以上に元春は彼らに委ねていますね。語弊を覚悟で言えば、「ボケ」(ボケとツッコミのボケね)を覚えたとでもいうか。浜ちゃんのツッコミも影響しているかな(笑)。風に漂うような、波に揺られるような。どっかに飛んでいってしまいそうになれば、彼らが「おいおい」と引き戻してくれるだろう信頼。
そして考えたことがもうひとつあります。色々な媒体を通じて知ったファンの皆さんの声。初期作品と比較して精彩を欠くこと、ウッドストックでの一発録りの良し悪し、「この曲は「○○○」にそっくりだ」という指摘。
僕は元春から、物事を見る視点、時代を感じる気分を教えてもらったように思います。その一つに「システムへの警鐘」と「コミュニティの提唱」があった。昨今の社会情勢を見ても、経済評論家や学者よりずっと本質をついていることがわかる。ウッドストックで録ることも、日本の優れたミュージシャンとともに優れたアーティストのコミュニティに足を踏み入れ、吸収したいという理由のほうが大きかったんじゃないか、と思います。元春は日本にもそういうコミュニティを確立したいんじゃないかな。
確かに派手さがないアルバムかもしれない。洋楽に詳しい人が聴くとサウンドの出典元(笑)がわかるのかもしれない。でも僕にはそういったひとつひとつが、現在(いま)大切なことや時代の気分を誠実に、確実に、表現するための手段に思えます。この気分が自分のものと同じだった。単純にそれが嬉しかった。
だから元春の曲がカッコよく聞こえないとしたら、現在という時代そのものがカッコ悪いのかもしれません。槇原敬之も「音楽をやることがカッコよく思えなくてやめようと思った」と言ったらしい(直接その発言を聞いた訳ではないし、真意もわからないけれど)。そんな世の中自体、やっぱり病んでいます。
「変わっていないからこそ」の現実を見つめる視線。あれだけおかしいことはおかしいと表現してきた元春が『せつない、ただせつない』(「誰も気にしちゃいない」作詞:佐野元春より引用しました)としか歌わない。それでもまだ、『これからの君はまちがいじゃない』(「約束の橋」作詞:佐野元春より引用しました)と歌ってくれるのだろうか。
河を越えたと思ったら、元春はやっぱりその先の河を渡っている。また僕も自分の渡るべき河を直視したい。今度は余裕をもって楽しみながら渡れればいいな。

信頼と依存を取り違えては行けない

そう、俺は君からはみ出している

Happy Birthday, MOTO

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