Back To The Street/佐野元春

Back To The Street

01 夜のスウィンガー(佐野元春/佐野元春/伊藤銀次)
02 ビートでジャンプ(佐野元春/佐野元春/伊藤銀次)
03 情けない週末(佐野元春/佐野元春/大村雅朗)
04 Please Don't Tell Me A Lie(佐野元春/佐野元春/伊藤銀次)
05 グッドタイムス&バッドタイムス(佐野元春/佐野元春/大村雅朗)
06 アンジェリーナ(佐野元春/佐野元春/大村雅朗)
07 さよならベイブ(佐野元春/佐野元春/大村雅朗)
08 バッド・ガール(佐野元春/佐野元春/大村雅朗)
09 Back To The Street(佐野元春/佐野元春/伊藤銀次)
10 Do What You Like<勝手にしなよ>(佐野元春/佐野元春/佐野元春)

Produce:小坂洋二・佐藤文彦
ESCB1320/
1980年4月21日発売

時代背景

佐野元春のデビューアルバム。元春の音楽との出会いは、母親がジャズ喫茶を経営していたところにさかのぼる。そして、中学に入り、ギターを手にし、ドイツの詩人ブレヒトの詩に曲をつけはじめたのが最初のオリジナル。そして、バンド活動、ポプコン参加、挫折、佐藤奈々子とのコラボレーションを経て、一旦はサラリーマン生活を始めた。そのラジオディレクター時代に、ロスに渡り大いに触発され、デビューの意志が固まったという。折しも、ニューミュージックと呼ばれる、一群がやや飽きられようとしていた頃でもある。アルバム発売は、1980年の4月。
プロデューサーは、小坂・佐藤の二人。もちろんこの二人が佐野元春を見いだしたのであるが、その後の進路を決定づける伊藤銀次との出会いがここであったのである。。彼は、佐野元春と出会ったときに、「バディ・ホリーみたいな眼鏡をかけて、ロックンロールについて語りまくる元春の雰囲気に椅子から転げ落ちそうになった」と語っている。まだ、ここではバックバンドとなる、The Heatlandは結成されておらず、全部のトラックがスタジオミュージシャンのセッションであった。元春も、まだレコーディング技術とか、アレンジメント、プロデュースのノウハウを身につけていず、やりたいことはずいぶんとあったようだが、それを具体的に表現できないジレンマもあり、衝突も多かったようだ。例えば、ある曲のピアノのフレーズを、「こういう風に弾いて欲しい」と自ら弾きだしてしまい、そのスタジオミュージシャンと険悪になったり。また、あるフレーズを入れるだけなのに、スタジオの片隅で何もすることのない元春が、自ら歌い出してしまい、それがとんでもない音で、そのテイクに入ってしまうので、何度もNGになってしまったりとか。当時の元春はそんなパワーがみなぎっていたということだ。しかし、この力に対抗しようと、スタジオミュージシャンも大いに触発され、結果的には、「佐野君、頑張って」ということになり、80年3月13日くしくも、元春の24回目の誕生日にアルバムは完成した。なお、この時まで、佐野元春は、サラリーマン生活を昼間送り、夜にレコーディングをするという二重生活を続けていたとのことである。

楽曲解説

夜のスウィンガー
アルバムを聴いた人は、まずこの歌でノックアウトされることだろう。これまでの日本のロック界にはなかったような、譜割の音がこれでもかという具合に詰め込まれているのだ。ここでのアレンジは、伊藤銀次。シングル用にアレンジを任された、大村雅朗では、ロック寄りの音を再現できないとのプロデューサーの意見で、急遽銀次が呼ばれたのである。銀次は、「元春をスプリングスティーンみたいにはしたくない」ために、荒削りな音に仕上げたとのことである。♪「心はいつでもヘビーだけど/顔では 大丈夫 大丈夫」というフレーズは、それまでに誰もが歌にしなかったくらい、直接的で革命的。これは今でも凄く新鮮であると思う。サックスがフィーチャーされていたというのも、当時としては斬新である。
ビートでジャンプ
こちらも、銀次のアレンジ。「夜のスウィンガー」ともに、元春が思いつくままに、書き付けた曲であると想像する。それほど、詞と曲が一体化しているのである。それまでの職業作曲家や、古典的なロックミュージシャンでは、生み出せないパワーがある。譜面とにらめっこして作ったものではないはず。
情けない週末
一転して、バラードとなるこの曲は、後に「ミスター・アウトサイド」(長谷川博一編)のインタビューで、作詞法を解説されている。風景をカットバック風に入れることによって、短い歌の中に、二人の情景と心情を重ねていくというものである。このラヴソングは、佐藤奈々子との日々を描いたもの。しかし、ただのラヴソングに留まらず、「<生活>といううすのろ」と毒づいているのだ。この曲は、ポプコン用に、デモテープが制作され、これを小坂洋二が聴いたことがきっかけとなり、元春のデビューが決まった曰く付きの曲である。
Please Don't Tell Me A Lie
ラグタイム風の、ロック。正に伊藤銀次にアレンジを任せて正解。レコーディングが正式に決まり、急遽作ったものの中のひとつ。後半の曲名のシャウトが、新人とはいえ、枠にとらわれない奔放さを持ち合わせていたと思う。決して、指示されたものでなく、自分でやりたいように歌っている。
グッドタイムス & バッドタイムス
アレンジがどことなく、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」に似ている。これぞ、大村雅朗風とでもいうのであろうか。こちらも、レコーディング直前になって作った曲のひとつ。まだまだ、青臭い佐野元春の姿が浮かんでこようというものだ。
アンジェリーナ
ントロのシュワーっという、音が印象的なこの楽曲は、ファーストシングルとしてシングルカットされることになる。この曲が韻を踏んでいることもあって、当時は良く理解されず、一部のコミック系のものかとも誤解されたりもしている。確かに、♪「今晩 誰かの車が来るまで/闇に くるまっているだけ」という歌詞、ちょっとやり過ぎかもしれないのだが。最初のシングルとなったものの、シングル用に4曲がまず録音され、そのうちのひとつに最終的に選ばれたものである。また、♪「ブルル…エンジンうならせて」という部分も、元春なりに、思い切り唇を震わせて擬音を出している。後の「A面で恋をして」にも繋がるアイデアである。結局この曲はまったくチャートに上がらなかったものの、当時のTBSの深夜放送、「パック・イン・ミュージック」林美男担当の「ユア・ヒットしない・パレード」では堂々の1位。確かに、注目している人はそれでもいたのである。最も成功した、大村雅朗のアレンジ。
さよならベイブ
これも、レコーディング直前に書かれた曲のひとつ。この曲も、シングル用として、最初に録音された。最終的には、「アンジェリーナ」に決定したのであるが、B面として発売されることになった。これもかなり青臭く、個人的心情を綴ったものといえよう。もちろん、佐藤奈々子との決別をモチーフにしている。
バッド・ガール
「さよならベイブ」と同タイプの曲ではあるが、よりバラッド風にアプローチしている。また、レコーディング直前に作られたものだが、なぜか同じような曲が二つ揃ってしまった。また、シングル曲候補でもあった模様。推測されるのは、これ、という曲がプロデューサーの目に止まらなかったことだろうか。
Back To The Street
珍しい、デュエット曲。相手は、和製ミック・ジャガーと呼ばれた、山本翔である。まあ、この人も泣かず飛ばずで終わってしまったのであるが。こちらも、レコーディング直前に作られたが、やはり伊藤銀次のアレンジだと一本芯が通っているような感がある。アンジェリーナを別にして、アルバム中最も、(その後の元春の代名詞ともなった)疾走感がある。
Do What You Like<勝手にしなよ>
ポプコン、本大会で最優秀作詞賞を受けた作品。この曲もまた、デモテープが制作され、プロデューサー小坂氏の耳に留まった作品である。ピアノとウッドベースだけのシンプルな作りで、元春がジャズに傾倒していた頃の作品である。「情けない週末」もこの曲も、ピアノを弾いて歌う元春がイメージにあったためだろうか、小坂氏は当初、元春をエルトン・ジョンや、ランディ・ニューマンのようなピアノマンのように仕立てたかったようでもある。折しも、ビリー・ジョエル大ブレイク中。それからしばらくは、マスコミに露出する元春は、ピアノの前に立っていたような印象もある。

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