Cupid/松原みき

Cupid

01 10カラット・ラブ(三浦徳子/亀井登志夫/大村雅朗)
02 One Way Street(三浦徳子/小田裕一郎/大村雅朗)
03 青いボールペン(三浦徳子/佐藤健/大村雅朗)
04 私はもどれない(三浦徳子/佐藤健/大村雅朗)
05 オアシス(三浦徳子/小田裕一郎/大村雅朗)
06 Cupid(三浦徳子/伊藤銀次/大村雅朗)
07 ニートな午後3時(三浦徳子/小田裕一郎/大村雅朗)
08 スーヴェニール(三浦徳子/佐野元春/大村雅朗)
09 One Summer Night(三浦徳子/小田裕一郎/大村雅朗)
10 Dream In The Screen(松原みき・三浦徳子/松原みき/大村雅朗)

1981年4月発売(C28A0157)
Produce:菊地哲英

松原みきの3枚目のアルバム。なお、トラック01〜05までが、A面。06〜10までがB面である。それから、2000年3月現在、CD化されてなく、アナログでしか聴けないアルバムだ。アルバムコンセプトとしては、三浦徳子の言葉に、6人のコンポーザーがメロディをのせ、大村雅朗によって仕上げられたものといえる。同時期に、松田聖子が、松本隆の言葉に、歌謡曲というカテゴリー外から起用したアーティストのメロディを、やはり大村雅朗がアレンジした作品があるのだが、松田聖子の場合は明らかに、プロデュースが松本隆なのである。この『Cupid』の三浦徳子は、そこまで至っておらず、実質的プロデュースは、大村雅朗なのではなかろうか。また、A面をロスで録音。ここでDr.Strutとセッションしている。B面は、国内での録音。このやり方も、竹内まりやの『Miss M』という同時期のアルバムと同じようなコンセプトである。ジャケット写真がなんともヌーディで、当時評判となったものである。

曲解説

10カラット・ラブ
1981年というと、すでにディスコサウンドのブームは去っていたような気がするが、いきなりのチョッパーベースに、分厚いブラスの音といったイントロで、あのブームが残していったものがここまで大きかったのかという気がする。ここで初めて対面した、Dr.Strutというのは、ロスのフュージョン系のグループ。このアルバムでは、半分の楽曲を担当するが、余程気に入ったのか、このあとの『Myself』では、すべてを担当することになる。ジャズでもない、フュージョンでもない、バラードでもない、こうしたサウンドに負けない、松原みきのヴォーカル力も大したもので、後に米倉利紀に提供したような、黒っぽい音の楽曲にも反映していくのではなかろうか。トロンボーンのソロは、向井滋春。
One Way Street
前の曲に引き続き、黒っぽいサウンドで勝負の1曲である。Dr.Strutは、ヨーロッパ系アメリカ人中心のグループで、黒人はひとりしかいなかったのだが、モータウンからレコードをリリースしているほどだから、こうした楽曲は得意中の得意と推測する。この曲を提供した、作家陣は、松田聖子の「青い珊瑚礁」と同じコンビ。そうした彼らが意外にも、こうした曲でも勝負できることに意外な嬉しさを感じてしまう。「10カラット・ラブ」同様、日本からのブラスセクションが参加している。クレジットがないが、女性のコーラスは、EVEではなかろうか。
青いボールペン
こちらはブラス抜きだが、心地よいアップテンポのフュージョン系サウンド。バックコーラスに、EVEを起用して、ごきげんなグループを生んでいると思うのは、筆者だけではあるまい。松原みきも、歌詞にはないインスピレーションで付け加えたと思われる、感嘆詞などを入れて歌っている。
私はもどれない
一転しての、スローバラードである。このあとにシングルでリリースされた、「倖せにボンソワール」のB面曲である。Dr.Strutも、違う曲調ながら、まったくの破錠がない。バックコーラスには、「ケンとメリー」などでスマッシュヒットを飛ばした、東郷昌和と小出博志のBUZZである。彼らも、ユーミンに起用されるなど、コーラスワークにはたけているところで、サウンドプロデューサーとしての、大村雅朗氏のセンスが光るところ。
オアシス
「One Way Street」と同じ作家陣。またしても、黒っぽく仕上がっているが、大村雅朗がなんとも凄いアレンジを施したものである。彼は、佐野元春の初期のアレンジャーであるが、佐野元春とはあまり相容れることなく、その後のサウンドプロデュースを伊藤銀次に、引き継いでやめてしまった経緯があるが、ここでは見事に才能を開花させていると思う。その後、大江千里などを担当することになるが、若くしての死が実に悼まれるのである。こちらの女性コーラスも、クレジットがないが、EVEであろう。もし、松原みき自身の多重録音だとしたら、凄いものだ。
Cupid
アルバムと同一のタイトルチューンは、当時のバックバンド、カステラ・ムーンのギタリスト、伊藤銀次の作である。このバンドの活動期間は、このアルバム制作の頃までで、銀次も佐野元春のバックバンド、The Heartlandと掛け持ちであった。その後、佐野の活動が忙しくなり、カステラ・ムーンは解散状態となるが、これまでのリスベクトの意味があって提供されたのではなかろうか。なお、この楽曲以後、国内の収録となる。転調するサビ以降が、松原みきらしさがでている。
ニートな午後3時
資生堂の春のキャンペーン曲としてシングルカットされた。通常、こうしたキャンペーンソングは、ヒット間違いなしなのだが、ライバルカネボウの「春咲小紅」(矢野顕子)とともに、沈んでいる。作家陣は、三浦徳子−小田裕一郎の「青い珊瑚礁」コンビだが、A面の凄い楽曲に比べ、力不足は否めない。それでも、オリコンチャート上では、松原みきの最大のヒットとなっている。サックスソロに、ジェイク・コンセプション、コーラスにBUZZを起用。ちなみに、「ニート」とは、資生堂の「ニート・カラー」というテーマに沿って付けられたものである。それにしても、歌いにくそうな曲である。
スーヴェニール
作曲は、佐野元春であるが、どうもいまいちぱっとしない。こちらは、伊藤銀次を引き抜いたという意味もあって提供されたのではなかろうか。元々佐野元春の提供楽曲には、自身が歌うというものがあって、沢田研二や山下久美子に提供されたものは、いずれもセルフカバーされている。そして、こちらは、詞を自分が担当していないので、自分が歌うという発想はなかったようである。その後、佐野元春が他人に提供したもので、松田聖子の「ハートのイヤリング」「今夜はソフィスティケート」などがあるが(前者はオリコン1位を獲得)、こちらも松本隆作詞であり、セルフカバーしていない。
One Summer Night
シンセサイザーを多用した、サウンドは当時としては流行である。こちらも、三浦−小田というコンビの曲だが、松田聖子などのアイドル路線とは違って、暗く沈んだようなアダルト路線。とはいえ、両者の年齢差は、わずかに3年ほどなのだが。このあたりは、どうしても「真夜中のドア」のイメージが引きずられていることを否めないであろう。当時のリスナーは、松原みきと松田聖子の年齢差を、5年くらいあったと思っていたのかもしれない。
Dream In The Screen
松原みき自身の担当楽曲。作詞が共同だが、三浦徳子全曲作詞という、コンセプトがあって、こうなったのか。何回でも書くが、当時の松原みきの作曲能力は、未熟なものではなかろう。それは、この曲を聴けばわかろうというもの。当時のスタッフ側の見る目のなさが悔やまれるところ。サビのコーラスと一体となったヴォーカル部分が、なんとも凄い。

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