小山卓治 Tokyo Acoustic Nite "Final" 日清パワーステーション 1998/06/19

卓治がロンドンから帰ってきた。このニュースは、ニフティと卓治を取り上げているサイト、「きらちゃんの小屋」で知ることになった。早速、チケットを手配したが、発売当日にはすっかり忘れてしまった。実は、この日は驚異の休日出勤であったのだ。
そんなことで手配したチケットだが、整理番号、248である。いい位置で見られるのかが心配。

んで、当日が来た。パワステ前に並ぶ列。前回の時は、かなり後にチケットを確保したにもかかわらず、整理番号などついていなかった。時間通りにくると、がらがらで、好きな位置が確保できたものである。今回は、何とかステージ右側斜め後ろ、ドリンクカウンターのあたりに椅子を見つけた。館内は熱気でむんむんしている。やはりラストということがあってか、心なしか客も多そう。
出演者は、順に、ミヒロリュウ、大森洋平、服部祐民子、田中一郎&斉藤浩和、小山卓治、井口一彦である。いったい誰のファンなんだろうか。
卓治は、5番目の登場。ラストのひとつ前です。卓治の出番が来て、続々と移動をはじめるディープそうなファンたち。
「タ・ク・ジ!タ・ク・ジ!」ああ、またこいつだ。見ると、かなり濃そうないでたちの男性。少し前に座っているやや禿上がりの男性も見覚えがあるぞ。
そして、小山卓治登場。茶色のジャケットに、黒いTシャツ。パンツも黒である。左の耳に見えるのは、ピアスであろうか。髪の毛もやや茶色がかっているし。
例の卓治コールの男性が、一声かける。「卓治、かっこいいぞ」
卓治は、マイクに向かって「もちろん」と一言。ロンドンでの生活が彼に充実感をみなぎらせたのであろうか。
そして聴いたことのない曲が始まった。野球がテーマ、これが噂の「青空とダイヤモンド」なのであろうか。最近はどうなったか解らないが、卓治の世代では確実に野球少年として、長嶋茂雄とか、王貞治に憧れていたはずである。そんな頃の思いは誰にでもあるはず。そんなメッセージが伝わってきたように感じた。
ギターを取り替えながら、いつものMCが始まる。
「こんばんは。小山卓治です。短い時間ですけど、楽しんでいって下さい」ホントに、このイベントでは、担当時間が短く、十分には楽しめない。それでも露出の低い、小山卓治に対し、限られた時間ではあるが、楽しんでやるぜという気持ちも沸いてくる。
そして、「Passing」というか、「いつか河を越えて」。レコードではサビの部分を変えて歌った問題の曲である。今回はアコースティックということもあり、サポートはなし。All performanced by Takuji Oyamaである。今聴いてみても、どこがいけないんだという思いが残る。当時の卓治としては、「河の向こう」という表現に対して、意図的なものはなかったであろう。しかし、当局がそんなことをやりそうな人として、目を付けていたのかもしれない。この曲の正式ヴァージョンの再録化を望む。
次も聴いたことのない曲。はっきりしないものの、「手首」であろうか。今回は、椅子に座ってなかなかリラックスした演奏。そんな中で日清パワーステーションの思い出なんかも語られる。この後に出演する、井口一彦とともに、アコースティックナイトの企画を考えたとか。「このアコースティックナイトに最初に出させてもらって、そしてファイナルにも出させてもらえて、嬉しい」とも。
そして「祈り」。ああ、アルバム『花』ゲットしていてよかった。とにかく、この日は、6組の出演ということで、持ち時間も30分くらいである。セット替えもドラムが入らないので、簡単に終わるが、それでも時間のたつのが早く感じてしまう。そんな中でも卓治の曲は長く感じられるのも事実。実に簡潔な喋りで、その分曲に時間を割いている感じでもある。
ついにラストになる。曲は「紫の夜明け」。
この曲をライブで聴くのは、二度目になる。しかし、前回は、アルバム『成長』を手に入れてなかったので、よくわからなかった。激しいギターのストローク。今日本のシンガーソングライター(死語)で、ギターを弾く人は何人もいるだろうが、一人でパフォーマンスのできる人が何人いるだろうか。それにしてもかっこいい。こうした孤高のパフォーマンスが、人々を魅了してきたのだと思う。それに加えて、小山卓治の露出度の低さ。ファンがディープになっていくのも当然のことだろう。
曲の終盤、さらに右手のストロークは激しさをまして、ついに弦が切れた。なんだか、弦を切るのは、この人のお約束みたいだな。切らなかった時って見たことありますか。
「じゃあ、また。どこかで会えるさ」といい残して、去っていく卓治。かっこよすぎるぜ。
「卓治ぃ、今年は仕事してくれよ」例の大声の卓治コールの男である。そんなことは卓治本人も十分解っているだろうが、つい口に出してしまうのは、やはりファンの願望か。(そういえば、「ぴあ」の情報indexにも載っていた。これまたいつ以来のことなんだろか)
フロントに出ると、『NG!』と『ひまわり』だけ売っていた。『Rocks!』はなかった。ついにこれもなくなりつつあるのだろうか。
さあ、次は新しい音を聴かせてくれ。
評価★★★★

以上、1998年のログを少しだけ加筆して、残しました。思えば、まだHP作りも最初の頃で、ライヴを続けて3つも同じページに入れていたなあ。
さて、日清パワーステーションという、会場、これをもって、ロックコンサートはできなくなったのですが、果たしてその後は何に使われているかは、不明です。日清の社長が、クラシック好きで、どうやらそちらの方をやりたいという意向を持っていたようなのですが、結局ここは、なんにも使われていないはずです。会場では、出演したことのあるミュージシャンのメッセージがテープで流され、中には忌野清志郎のものもあった。そこでは、「もう、カップヌードルは食べない」という、強烈なメッセージもあったのが懐かしい。
また、この時の出演者であるが、ミヒロリュウはSoltというバンドで活動。ただし、妹の小柳ゆきが大ブレーク(関係ないけど)。大森洋平は、浜田省吾らのRoad & Sky所属で頑張っているらしいが、ほとんど噂を聞かない。服部祐民子は、メジャー契約が切れ、インディーズでの活動とともに、Webデザイナーのような仕事も手がけているらしい。井口一彦は長らく、表に顔を出さなかったが、ようやく重い腰を上げつつあるらしいのだが。
小山、田中一郎などは、さすがに古くからこの業界にいるためか、生き延びる術を知っている。特に小山などは、十分に生活していけるペースであるとは思えないのであるが、そこは事務所に所属しているためか、マイペースの活動でも何とかなるんだろう。
また、ログの中でCD化を望むと書いた、「いつか河を越えて」であるが、ライヴヴァージョンながら、またインディーズ扱いだが、ベストアルバムに収録され、日の目を見たような感じがする。

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