あたらしい愛の詩/鈴木祥子

あたらしい愛の詩

01 この愛を(鈴木祥子/鈴木祥子/佐橋佳幸)
02 区役所に行こう(鈴木祥子/鈴木祥子・佐橋佳幸/佐橋佳幸)
03 もういちど(鈴木祥子/鈴木祥子/佐橋佳幸)
04 いつかまた逢う日まで(鈴木祥子/鈴木祥子/佐橋佳幸)
05 愛は甘くない(鈴木祥子/鈴木祥子/佐橋佳幸)
06 子供の時間(鈴木祥子/鈴木祥子・佐橋佳幸/佐橋佳幸)
07 25歳の女は(鈴木祥子/鈴木祥子・佐橋佳幸/佐橋佳幸)
08 破局(鈴木祥子/鈴木祥子/佐橋佳幸)
09 南にドライヴして(鈴木祥子/鈴木祥子・佐橋佳幸/佐橋佳幸)
10 臨時雇いのフィッツジェラルド(鈴木祥子/鈴木祥子/Kyon)
11 帰郷(鈴木祥子/鈴木祥子/佐橋佳幸)
12 あたらしい愛の詩(鈴木祥子/鈴木祥子/佐橋佳幸)

WPC6-10050
1999/12/22発売
Produce:佐橋佳幸

鈴木祥子のワーナー移籍後2枚目のアルバムにして、最高傑作かもしれない。前のアルバム『私小説』が意外にも、奥田民生プロデュースという方向性を探っていたようにも見えるが、ここでは原点に立ち返り、佐橋佳幸にプロデュースを任せている。そして、佐橋との共同作曲もあるものの、全曲を自分が担当することで、自分の色を強く押し出すことにも成功している。
このCDを開けると、昔の輸入盤レコードにも似た匂いが漂う。そして、歌詞カードは一枚の絵が。こちらは、ジャケット写真がモノクロームなのに対して、カラーの同じものが描かれている。その裏側に歌詞があるのだが、曲調によって、文字間のスペースが空けられていたり、改行なども独特だ。ここには、ただの歌詞カードではなく、「詩」として、読んで欲しいというものではなかろうか。シンプルな作りだが、かなりの実験的なものであろうと感じた。また、今までだと、私的なパートナー、菅原弘明も関わっていたのだが、ここではそれを排除。これもまた、成功しているのではなかろうか。(2003/04/20追記:その前の年あたりに、鈴木祥子と菅原弘明は、離婚している。彼らの表現を借りれば、ミュージシャン同士に戻ったということらしいが、このためか、鈴木祥子のサイトは悪質な書き込みが相次ぎ、閉鎖にいたったという事実もある。)

曲解説

この愛を
どちらかというと、少し前の鈴木祥子の色がでているタイプの楽曲だが、ここではリズムセクションを入れずに、曲のベース部分を作っている。アルバム中の鈴木祥子の声をここで初めて聴いて思ったのは、伸びがよくなってきたことではなかろうか。かつて、喉を潰してしまい、それ以後の作風も変えざるを得なかったという彼女だが、ここに来て吹っ切れてきたのではなかろうか。
区役所に行こう
一転、アメリカンな心地の良いサウンド。この曲は渡米して、Russ Kunkelなどを中心としたミュージシャンが演奏している。新しいタイプの鈴木祥子の作品といえよう。ギターとバックコーラスは佐橋佳幸が担当して、要の部分はしっかりと押さえている。この中間部のギターソロが、なかなか気持ちよい。アコースティックではなく、ロック寄りのサウンドだが、激しからずあくまでも鈴木祥子というキャラクターを生かした作り。筆者もアルバム中で一番のお気に入り。
もう一度
ここでも、佐橋の気持ちよいギターが終始聴ける。鈴木祥子もシンガーだけでなく、ドラムプレイに加わる。「区役所に行こう」が、ロックの王道であるのに対して、こちらはシティポップスじみた出来である。
いつかまた逢う日まで
ここでは、鈴木祥子がその本分を生かして、ドラムプレイも聴かせてくれている。ベースに、佐橋人脈から、ベースに井上富雄(元ルースターズ、現The Hobo King Band)、キーボードに柴田俊文(元UGUISS、佐橋と同級生でこのバンドでデビュー)、サックスに山本拓夫、何故かパーカッションに告井延隆(センチメンタルシティロマンス)の起用となっている。もちろん、ギターは佐橋。こちらはアコースティックな出来に仕上がり、アルファ波がでてくるような安らぎがある。
愛は甘くない
70年代後半から80年代前半に流行ったウエストコーストサウンドみたいなオープニングである。まあ、そこに入り浸らないのが、その時代と少しばかりずれのある、鈴木祥子ならではなのだが。ここでも鍵を握っているのは、佐橋佳幸のギタープレイ。それにしても様々な演奏をしてくれる人だ。
子供の時間
佐橋と鈴木祥子だけで作り上げた短い作品。曲のつなぎとしてもくつろげるような出来に仕上がっているのではないか。
25歳の女は
「区役所に行こう」と同様、渡米しての作品。佐橋のギタープレイを中心として、心地よいセッションが続く。ここでは、バックコーラスに、Valerie Carterらが起用されて、なかなかクオリティの高い作品である。後半、鈴木祥子の声がヴォイスチェンジャーを通された処理をされ、このセリフめいた箇所も印象的である。
破局
アルバム中一番ドライヴ感のある作品。セッションという雰囲気も一番あるものかもしれない。
南にドライヴして
こちらも、渡米して作られた作品。ここでも気持ちよいセッションが続くが、佐橋の他に、スティールギター奏者がいる。奇しくも、渡米して作られた作品はほとんどが佐橋佳幸がらみなのだが、やはりそうしたテイストが溢れているということなのだろう。
臨時雇いのフィッツジェラルド
ここでは、唯一アレンジャーが、Kyonとなっている。曲名の英語表記も、「Blues in G」となっているが、Kyonという男がGコードをもっとも得意とするところから来ているのだ。すべての曲を佐橋が担当することなく、適材適所でアレンジャーやミュージシャンを配置しているところが、プロデューサーとして一回り大きくなったところかもしれない。Kyonは、元Bo-Gumbosで、現在は佐野元春のバックバンド、The Hobo King Bandでキーボードを中心とした演奏を聴かせてくれる。佐橋もそのギタリストで、鈴木祥子との交流も昔から盛んである。今、日本でアメリカ南部の匂いがするピアノを聴かせてくれるのも、Kyonだけといってよいだろう。なお、フィッツジェラルドとは、「華麗なるギャツビー」などを書いたアメリカの作家である。
帰郷
ここでも、渡米して作られた作品。こちらは、ピアノプレイを中心としたもので、それを鈴木祥子が演奏している。鈴木祥子も、その出自である、ドラムに加え、ギターなどを演奏することは知られていたが、ピアノまでこなすとは、かなりのマルチプレイヤーぶり。これらをサポートするのが、アメリカのミュージシャン達であるが、佐橋佳幸はアレンジに関わっているのみ。
あたらしい愛の詩
そして、ラストナンバー。ドラムスに小田原豊(元レベッカ、現The Hobo King Band)が起用される。また、それだけに留まらず、井上富雄、Kyon、佐橋佳幸とThe Hobo King Band総出演である。だいたいのパートは日本で収録されたようだが、バックコーラスと、オーケストレーション(もっとも後半部分で、楽曲終了後にある)は渡米で付け加えられた模様。そのバックコーラス、日本語パートもあるが、あちらのミュージシャンがそのまま歌っている。昔竹内まりやの作品にもそのようなものがあったが、それを思い出した。

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